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#9

なぜ ボロブドゥール いせき は せかい いさん なのですか

ボロブドゥール いせき は、インドネシア で もっとも ゆうめいな れきし の ある たてもの の ひとつ です。

この いせき は ちゅうぶ ジャワ に あります。

そして、インドネシア だけでなく、がいこく からも おおく の かんこうきゃく が おとずれます。

ひとびと が ボロブドゥール の しゃしん を みる と、すぐ に インドネシア を おもいうかべる こと が おおい です。

それは、この たてもの が とても おおきく、ユニークな かたち を している から です。

また、ボロブドゥール に は ながい れきし と たいせつな ぶんか が あります。

そのため、ボロブドゥール は インドネシア の ほこり であり、せかい に しられている せかい いさん の ひとつ に なって います。

 

ボロブドゥール の かんたんな れきし

ボロブドゥール は、8せいき から 9せいき ごろ に つくられました。

その じだい、ボロブドゥール は ぶっきょう の ひとびと の おいのり の ばしょ として つかわれて いました。

この いせき は、おおく の いし を つかって つくられました。

いし は とても ていねい に つみあげられて います。

げんだい の ぎじゅつ が ない じだい に つくられた のに、いま でも つよく のこって います。

これは、その じだい の ひとびと が たかい ぎじゅつ と ちしき を もっていた こと を しめして います。

しかし、そのあと ボロブドゥール は しばらく つかわれなく なりました。

そして、もり や つち に おおわれて しまいました。

そのため、おおく の ひと は ボロブドゥール の そんざい を しりませんでした。

そのあと、1814ねん に ボロブドゥール は もういちど みつけられました。

そして、おおく の ひと が きょうりょくして、いせき を きれい にしたり、なおしたり しました。

ボロブドゥール は とても たいせつな れきし を もっているので、せんもんか や せいふ は いま でも まもりつづけて います。

1991ねん に、ボロブドゥール は せかい いさん に とうろく されました。

それから、さらに おおく の ひと が せかいじゅう から おとずれる ように なりました。

 

とても たいせつな ぶんか の かち

ボロブドゥール は、ただ の ふるい たてもの では ありません。

この いせき に は、たいせつな ぶんか の かち が あります。

いせき の かべ に は、たくさん の レリーフ が あります。

その レリーフ に は、むかし の ひとびと の せいかつ が えがかれて います。

それを みる と、その じだい の ふくそう や しごと、せいかつ の ようす を しる こと が できます。

そのため、ボロブドゥール は インドネシア の れきし と ぶんか を まなぶ ため の たいせつな しりょう です。

また、この いせき は むかし の ひとびと の げいじゅつ や けんちく の ちから を しめして います。

たくさん の ちょうこく は とても うつくしく、ていねい に つくられて います。

いま でも、おおく の げいじゅつか や けんきゅうしゃ が ボロブドゥール を けんきゅうして います。

さらに、ボロブドゥール は ぶっきょう の ひとびと に とって たいせつな ばしょ です。

とくべつな ひ には、おおく の ひと が おいのり の ため に あつまります。

このように、ボロブドゥール は れきし だけでなく、ぶんか や しゅうきょう の めん でも たいせつな いせき です。

 

きょういく の かち

ボロブドゥール に は、きょういく の かち も あります。

おおく の がくせい や だいがくせい が、インドネシア の れきし を まなぶ ため に ボロブドゥール へ いきます。

ほん や しゃしん だけでなく、じっさい に みる ことで、れきし を もっと よく りかい できます。

また、ボロブドゥール は むかし の ひとびと が きょうりょくして、おおきな もの を つくる こと が できた と いう こと を おしえて くれます。

わたしたち は、この いせき から ぶんか を たいせつ にする こと を まなぶ こと が できます。

さらに、げいじゅつ や けんちく、むかし の せいかつ に ついても まなべます。

そのため、ボロブドゥール は おもしろくて やくだつ べんきょう の ばしょ と かんがえられて います。

おおく の がっこう が、せいと たち のために ボロブドゥール への けんがく を おこなって います。

このようにして、れきし は もっと わかりやすく なり、おもしろく なります。

 

ボロブドゥール を まもる こと の たいせつさ

せかい いさん である ボロブドゥール は、しっかり まもらなければ なりません。

まいとし、おおく の かんこうきゃく が この いせき を おとずれます。

かんこう は だいじ ですが、ルール を まもらない と いせき が こわれる かもしれません。

そのため、おとずれる ひと は ルール を まもる こと が ひつよう です。

たとえば、かべ に かいては いけません。

ごみ を すてては いけません。

そして、まわり を きれい に しなければ なりません。

また、せいふ や せんもんか は ボロブドゥール の じょうたい を よくするために しごと を つづけて います。

いし の じょうたい は ときどき しらべられて います。

それは、おおきな もんだい を ふせぐためです。

ボロブドゥール を まもる のは、せいふ だけ の しごと では ありません。

わたしたち にも たいせつな やくわり が あります。

もし ボロブドゥール を まもらなければ、しょうらい の ひとびと は その うつくしさ を みる こと が できない かもしれません。

だから、ボロブドゥール を まもる こと は、インドネシア と せかい の たいせつな れきし や ぶんか を まもる こと なのです。

 

インドネシア の ほこり として の ボロブドゥール

いま、ボロブドゥール は せかいじゅう の おおく の ひと に しられて います。

おおく の かんこうきゃく が、その うつくしい たてもの や れきし を みるために やってきます。

ボロブドゥール は、インドネシア が ゆたかな ぶんか を もっている こと を しめして います。

また、かんこうち として だけでなく、ちしき や ぶんか、どりょく、そして そうぞうりょく の シンボル にも なって います。

ながい れきし と たいせつな ぶんか、そして おおきな きょういく の かち が あるため、ボロブドゥール は これからも インドネシア の たいせつな せかい いさん として のこって いくでしょう。

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