なぜ ボロブドゥール いせき は せかい いさん なのですか
ボロブドゥール いせき は、インドネシア で もっとも ゆうめいな れきし の ある たてもの の ひとつ です。
この いせき は ちゅうぶ ジャワ に あります。
そして、インドネシア だけでなく、がいこく からも おおく の かんこうきゃく が おとずれます。
ひとびと が ボロブドゥール の しゃしん を みる と、すぐ に インドネシア を おもいうかべる こと が おおい です。
それは、この たてもの が とても おおきく、ユニークな かたち を している から です。
また、ボロブドゥール に は ながい れきし と たいせつな ぶんか が あります。
そのため、ボロブドゥール は インドネシア の ほこり であり、せかい に しられている せかい いさん の ひとつ に なって います。
ボロブドゥール の かんたんな れきし
ボロブドゥール は、8せいき から 9せいき ごろ に つくられました。
その じだい、ボロブドゥール は ぶっきょう の ひとびと の おいのり の ばしょ として つかわれて いました。
この いせき は、おおく の いし を つかって つくられました。
いし は とても ていねい に つみあげられて います。
げんだい の ぎじゅつ が ない じだい に つくられた のに、いま でも つよく のこって います。
これは、その じだい の ひとびと が たかい ぎじゅつ と ちしき を もっていた こと を しめして います。
しかし、そのあと ボロブドゥール は しばらく つかわれなく なりました。
そして、もり や つち に おおわれて しまいました。
そのため、おおく の ひと は ボロブドゥール の そんざい を しりませんでした。
そのあと、1814ねん に ボロブドゥール は もういちど みつけられました。
そして、おおく の ひと が きょうりょくして、いせき を きれい にしたり、なおしたり しました。
ボロブドゥール は とても たいせつな れきし を もっているので、せんもんか や せいふ は いま でも まもりつづけて います。
1991ねん に、ボロブドゥール は せかい いさん に とうろく されました。
それから、さらに おおく の ひと が せかいじゅう から おとずれる ように なりました。
とても たいせつな ぶんか の かち
ボロブドゥール は、ただ の ふるい たてもの では ありません。
この いせき に は、たいせつな ぶんか の かち が あります。
いせき の かべ に は、たくさん の レリーフ が あります。
その レリーフ に は、むかし の ひとびと の せいかつ が えがかれて います。
それを みる と、その じだい の ふくそう や しごと、せいかつ の ようす を しる こと が できます。
そのため、ボロブドゥール は インドネシア の れきし と ぶんか を まなぶ ため の たいせつな しりょう です。
また、この いせき は むかし の ひとびと の げいじゅつ や けんちく の ちから を しめして います。
たくさん の ちょうこく は とても うつくしく、ていねい に つくられて います。
いま でも、おおく の げいじゅつか や けんきゅうしゃ が ボロブドゥール を けんきゅうして います。
さらに、ボロブドゥール は ぶっきょう の ひとびと に とって たいせつな ばしょ です。
とくべつな ひ には、おおく の ひと が おいのり の ため に あつまります。
このように、ボロブドゥール は れきし だけでなく、ぶんか や しゅうきょう の めん でも たいせつな いせき です。
きょういく の かち
ボロブドゥール に は、きょういく の かち も あります。
おおく の がくせい や だいがくせい が、インドネシア の れきし を まなぶ ため に ボロブドゥール へ いきます。
ほん や しゃしん だけでなく、じっさい に みる ことで、れきし を もっと よく りかい できます。
また、ボロブドゥール は むかし の ひとびと が きょうりょくして、おおきな もの を つくる こと が できた と いう こと を おしえて くれます。
わたしたち は、この いせき から ぶんか を たいせつ にする こと を まなぶ こと が できます。
さらに、げいじゅつ や けんちく、むかし の せいかつ に ついても まなべます。
そのため、ボロブドゥール は おもしろくて やくだつ べんきょう の ばしょ と かんがえられて います。
おおく の がっこう が、せいと たち のために ボロブドゥール への けんがく を おこなって います。
このようにして、れきし は もっと わかりやすく なり、おもしろく なります。
ボロブドゥール を まもる こと の たいせつさ
せかい いさん である ボロブドゥール は、しっかり まもらなければ なりません。
まいとし、おおく の かんこうきゃく が この いせき を おとずれます。
かんこう は だいじ ですが、ルール を まもらない と いせき が こわれる かもしれません。
そのため、おとずれる ひと は ルール を まもる こと が ひつよう です。
たとえば、かべ に かいては いけません。
ごみ を すてては いけません。
そして、まわり を きれい に しなければ なりません。
また、せいふ や せんもんか は ボロブドゥール の じょうたい を よくするために しごと を つづけて います。
いし の じょうたい は ときどき しらべられて います。
それは、おおきな もんだい を ふせぐためです。
ボロブドゥール を まもる のは、せいふ だけ の しごと では ありません。
わたしたち にも たいせつな やくわり が あります。
もし ボロブドゥール を まもらなければ、しょうらい の ひとびと は その うつくしさ を みる こと が できない かもしれません。
だから、ボロブドゥール を まもる こと は、インドネシア と せかい の たいせつな れきし や ぶんか を まもる こと なのです。
インドネシア の ほこり として の ボロブドゥール
いま、ボロブドゥール は せかいじゅう の おおく の ひと に しられて います。
おおく の かんこうきゃく が、その うつくしい たてもの や れきし を みるために やってきます。
ボロブドゥール は、インドネシア が ゆたかな ぶんか を もっている こと を しめして います。
また、かんこうち として だけでなく、ちしき や ぶんか、どりょく、そして そうぞうりょく の シンボル にも なって います。
ながい れきし と たいせつな ぶんか、そして おおきな きょういく の かち が あるため、ボロブドゥール は これからも インドネシア の たいせつな せかい いさん として のこって いくでしょう。